22Mon052017

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ホイアン世界遺産に「日本橋」

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南北に細長く伸びるヴェトナム社会主義共和国。その国土のほぼ真ん中、南シナ海に面してホイアンがある。古い港町で海のシルクロードの拠点として栄えた。ホイアンの古い町並みは情緒があり、世界遺産にも登録されている

 

(1999年)。人気が高いこの一角に「日本橋」と呼ばれる橋が残されている。日本人とゆかりの深い場所にあり、ヴェトナムと日本を結ぶ架け橋の一つとなっている。しかも、ここには沖縄にも結びつく歴史も含んでいた。

ホイアンの人に日本橋と呼ばれているが、「来遠橋」というのが正式の名前。1719年にここを訪れた明の王阮福調が名付けたと記録されている。ホイアンの港町が古代から海のシルクロードの拠点として栄え、ヴェトナムとなる前のチャム人の時代から中国と深い関係であったことが分かる。


この橋をよく見ると極めて中国的な作りである。橋に屋根があり、中には店や寺院もある。どこから見ても中国風なのだ。日本人が作ったようには見えない。それではなぜ地元の人は日本橋というのか。15世紀の終盤から16世紀にかけて、この橋の周辺に大きな日本人町が形成されていたからだ。最盛期には1千人の日本人が住んでいた。秀吉が制定した交易制度の御朱印船が足しげく往来していた結果であった。正確な街の構成は今もって不明なのだが、この周辺からたくさんの伊万里焼が発掘され、日本人町の痕跡となっている。

記録によればこの街を訪れた歴史上の人物も数多い。加藤清正、有馬晴住などの諸大名をはじめ、商人としては茶屋四郎次郎、末次平蔵など。シャムで活躍する山田長政も訪れている。海外志向を持った日本人の多くがホイアンを訪れていた。

アジアの最先端を行く国際的で近代的な港であった。この日本人町を実際に記録したのが、ウィリアム・アダムスである。彼はその後日本に渡り、幕府の外交顧問となる。日本名の三浦按針として生涯を日本で終える。彼が日本に興味を持ち、日本に帰化するきっかけを与えたのがホイアン(当時はフェイフォと呼称)の日本人町であったと、後に回顧している。日本人町が消滅した理由は、徳川幕府の鎖国令であった。

それ以前の日本人の記録としては阿倍仲麻呂がある。717年に遣唐使として派遣された19歳の仲麻呂は一度も日本に帰国することなく中国で没している。その彼が768年に安南郡護府(現在のフエ辺り)の長官に任命されている。すでにシルクロードの拠点であった港にも足跡を残している。しかし、彼は交易人としてここを訪れた者ではない。日本との関係で最初に交易記録に表われるのは秀吉の日本ではなく、琉球王朝(沖縄)であった。15世紀の初めから積極的な海外交易を目指していた中山王・尚巴志から尚真王時代にかけて、アジア全域にわたり活躍していたのである。このルートを利用して御朱印船が活動できたのである。当時の琉球王朝はアジアの海を闊歩し、交易立国を実現していたのであった。

地図を見るとよく分かるが、東シナ海の中心に位置する琉球(沖縄)は海のルートの十字路に相当する。日本の九州や朝鮮半島、中国大陸、台湾などを結ぶ扇の要に当たる場所となる。琉球王朝はこの地理的優位性を巧みに利用していたのである。中国と日本の狭間にあることは、両国の圧力がまともにかかる場所であった。まさに、この当時から沖縄は微妙な立場にあったことが分かる。沖縄の交易が突然途絶えた理由もここにあった。


江戸末期、米国のペリーが浦賀に現れ、開国を要求するが、その前に沖縄に寄港していた。開国を要求した港の一つに沖縄も入っていた。東シナ海に位置する沖縄の存在はこの時から米国にマークされていたのである。太平洋戦争の終結により、米国が真っ先に沖縄を自分の領土とした背景もここにある。朝鮮半島や中国大陸の喉元に重要な基地を築くことができたからである。沖縄がもつ地政学的な不幸は、遠い中世の時代から続くものであった。
現在の米軍は主力部隊をグアムに移転することが決定している。そうであっても米国は、自由に使える沖縄に基地が必要なのである。それが彼らの極東戦略の重要な要素だからだ。しかしそれは日本人として大変迷惑な話である。主権国家としての日本の立場が存在しないからだ。海外に米軍基地を移動すべきという、鳩山総理の主張は、この1点においては正しい。米国のための沖縄であってはならないからだ。その実現のためには、日米安保の見直しをはじめ、主権国家としての国防、憲法確立など超難問をクリアしなければならない。それをやらなければ沖縄問題の解決など永遠にできない。党首が「最低でも県外」と叫んでも、叫んだだけでは解決の扉は開かない。

屈辱的で穴だらけの日本憲法のもとで、隣のテロ国に領土や人権が狙われる危険性をもっと早く認識すべきだ。日本人が拉致されても救出に行けない日本の国防などあり得ない。

沖縄の交易人が切り開いた南シナ海の交易ルート。そのおかげでホイアンに日本人町が生まれた。だが、この当時から日本は沖縄の人を裏切り続けてきた。徳川幕府も明治政府も。そして太平洋戦争時も、戦後も。それが21世紀となってもそれが続いている。同胞として心から申し訳なく思う。そのためにも主権国家日本の確立が急がれる。

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